第三話 豪華(ごうか)絢爛(けんらん)
あれから二年。 梅乃は十歳になった。
「花魁、失礼しんす……」 玉芳の部屋に勝来がやってきた。
最初の禿だった菖蒲は十五歳になり、下級の妓女となっていた。
それにより、禿の最年長は勝来である。
「本日の予約は……」 勝来が予定を読み上げると
「へー 初見(しょけん)さんか……」 玉芳は驚いていた。
玉芳が驚くのも無理もない。
少し前だが、戊辰戦争が起こり 上野周辺は瓦礫(がれき)や死体の山であった。
ここ吉原も、彰義隊の避難所として利用している為、戦争に巻き込まれたくない客は遠のいていった。
「少し、客さんは戻ってきたのかしら……?」
玉芳はキセルを吹かしながら空を見ていた。
吉原は幕府公認の妓楼街であったが、大政奉還により幕府が権力を失う。
大名は吉原から足が遠のき、金が安く済む夜鷹を使っていた。
また吉原に来ても大見世である三原屋を使わず、吉原の壁側にある河岸(かし)見(み)世(せ)を使う客も増えていった。
吉原の妓楼は四つのランクに分けられていた。
三原屋のような格式が高い見世は、大見世。
格式が低く、引手茶屋を通さずに遊べるのが小見(こみ)世(せ)。 その中間にあるのが中(なか)見(み)世(せ)である。
そして、吉原を囲むように川の水が溜まったのが『お歯黒ドブ』と呼ばれ、そのドブの近くにある見世が、河岸(かし)見(み)世(せ)と呼ばれていた。
河岸見世は安く、格式など無い。
年季が明けて、行くところが無くなった妓女が多く在籍する。
また、三十路過ぎの女性が多いところでもある。
そして戦争により、一気に客足は遠のき三原屋も経営が苦しかった。
「久しぶりに、景気よくいこう」 玉芳は嬉しそうであった。
この落ち込んだ景気を回復しようと、強く思っていたのだ。
玉芳は一階にいる “鑓手(やりて)婆(ばば) ” の所に出向いた。
鑓手婆とは、妓楼の一階に座り、妓女の管理や会計などを行う人である。
三原屋で言えば『采』である。
「お婆(ばば)、今日の客さんは どんな方?」 玉芳は采に聞くと
「確か……金貸しの旦那とか言ったね。 アチコチの妓楼に顔を出すヤツさ…… そこいらで品定めでもしているんじゃないかい?」
「お婆、今日は車を出してくれない?」 玉芳は、珍しく采に頼み事をした。
「そりゃ構わないけど、ケチられたらどうするんだい?」
采の言うことは尤もである。
ケチる……車などを頼んでないから、値引けと言ってくる客である。
「お婆、ここは勝負です。 大見世として生き残れるかの勝負です。 もし、ケチられたら私が車代を払いましょう」
「玉芳……」 采は、花魁の玉芳の気迫に圧倒された。
「わかった! 手配しとくよ」 采はニヤリとして、親指を立てた。
「ありがとう お婆♪」
「さぁ 風呂に入って、やるよ」 玉芳は大きな声を出し、妓女たちに活気を与えた。
「それと、酒宴は……菖蒲、それと勝来も入りなさい」
「あ、はい……」 勝来は驚いていた。
菖蒲は妓女として入ったばかりで勉強の為に呼ばれたのだと分かるが、勝来は『新造(しんぞう)出(だ)し』と言って妓女の見習いという身分で、妓女としては経験していなかった。
そして、新造出しからお披露目として変わっていくのでる。
「勝来、勉強よ。 私、赤飯を用意するわ」 菖蒲が励ましたが
「……はい」 返事に元気が無かった。
梅乃は大部屋を見渡していた。
(勝来姐さんに元気がないのは、周囲の目だ! 嫉妬、妬みが当たり前の妓楼では花魁と一緒に仕事が出来れば、上客のオコボレを貰えるチャンス……みんなが欲しかったチャンスを妓女の見習いが選ばれるのだから、嫉妬の目は当たり前だよ……)
梅乃は、まだ十歳だが分かっていた。
「それと……梅乃、八時まで酒宴に参加しなさい」
玉芳の言葉は、十歳の小娘の意識を遠ざけた。
「しっかりしなさい、梅乃……」 梅乃は後ろに倒れ、気絶していた。
梅乃の目が覚めると、大部屋の空気が一変していた。
“ザワザワ…… ”
「じゃ、頼むわね」 そう言って、玉芳は自室に戻っていった。
「すごいじゃん、梅乃~」
「小夜……どうしよう……」 喜んでくれた小夜に、泣きついていた梅乃である。
「とにかく決まったのだから、精一杯 勤めるんだよ」 菖蒲は、梅乃の肩に手を置いた。
梅乃は酒宴に参加をするが、もちろん禿の仕事もある。
一層の気持ちが必要だったが……
「なんでお前が……」 いつも梅乃に絡み、蹴ってきた妓女が言いよってきた。
「すみません……」 とりあえず、梅乃は謝ったが
「生意気な……」 見下ろしてくる目が怖かった。
そして夕刻、玉芳が引手茶屋に向かう時間である。
「花魁、通ります」 大きな声で迎えをアピールすると、周囲の目が玉芳に向いた。
『この景気の悪い時に車で花魁だと? 一体、誰だよ……』 こんな噂が吉原に響いた。
幕府が崩壊し、景気が悪くなった吉原に玉芳が風を流し込む。
そして、他の妓楼と差をつける為に車まで用意したのだ。
まさに、これが玉芳の作戦であった。
そして精一杯の声を出してアピールをする梅乃と小夜。
ここが見世の運命の分かれ道であった。
「お待たせしました。 三原屋の玉芳でありんす……」
(えっ?) 梅乃は驚いていた。 普段なら、初見の客には笑顔を見せない玉芳が優しい言葉で迎えていた。
「お、おぉ……」 客は面食らっていた。
「本日は車で失礼しんす……お嫌でしたら、車代は私が……」
玉芳が言いかけた所で、客が言葉を被せてきた。
「構わんよ。 私が持つ」 客は軽く手を胸に置いた。
「ありがとうございます……では、こちらへ」
客の男は車に乗り、動くのを待った。
「では、普段ならお客さんが先に歩くものですが……私が案内を致しましょう」
そう言って、先頭を玉芳が歩いた。
そして、外八文字を見せると仲の町に歓声が上がった。
“こりゃ、変わった案内だが、これもいい…… ”
仲の町に様々な声が飛んだ。
これは、どこの妓楼もしたことのない事であった。
そして、普通に歩けば数分の場所ではあるが、三十分を使って三原屋に到着した。
「それでは、二階の酒席へ……」 ここからは禿の出番である。
酒席の部屋へ案内をすると、菖蒲が酌をする。
玉芳は、自室で小夜と酒席の衣装へと着替えていた。
そして酒席の部屋の隅で、勝来と梅乃は正座をしていた。
そして十分が過ぎた頃、玉芳が部屋に入ってきた。
「……」 玉芳は『お待たせしました』の言葉さえ出さず、客とは少しの距離を取って座った。
実際は初見の客とは言葉も交わさず、酒宴の料理にも手を付けないのが普通である。
玉芳は、セオリー通りに接客をした。
これは花魁なりの品定めである。
酒宴を盛り上げるのは客であり、花魁のご機嫌を伺っていくものである。
花魁は笑顔ではあるが、あまり言葉は交わさない。
そこで 「お嬢ちゃんたちも、どうぞ……」
禿の梅乃にまで食事を出していた。
そして、三時間の酒宴が終わる。
階段まで見送る玉芳は
「今宵は、本当にありがとございます」 深々と礼をした。
いつもと違う感じの対応に、客は驚いていた。
そして菖蒲が妓楼の出口まで見送ると、
客が 「また、同じ面子で頼むよ……」 と、言ったのである。
そして、二階の窓から玉芳が見ていた。
ふと、客が二階を見上げると、玉芳と目が合った。
玉芳が微笑むと、客は手を挙げて帰っていった。
「よくやったよ」 采が玉芳の部屋に来て、言葉を掛けた。
「しかし、いつもと違うじゃないか?」
「えぇ……いつもと同じなら、あの客は いつもと同じく別の見世に行くでしょう……」 ここからは真剣勝負をしないと、生き残れないと感じての行動だったようだ。
「大したものだよ……」 そう言って、采は一階に降りて行った。
そして、二日後に その客は来た。
今度は、普段通りに歩いて迎えに行った玉芳に
「今日は普通だな……」 つい、言葉を漏らしてしまった。
「毎度、同じですと飽きますから……」
それだけを言うと、サッと先導を促(うなが)した。
そして、梅乃が客の横を歩いた。
「お嬢ちゃん、どうなっているんだい?」 客は、初回と今回の違いを不思議に思い、梅乃に聞いていた。
「花魁は……こうして皆に幸せをくれるのです。 まるで、夜に出るお天道(てんと)様(さま)なのです」 梅乃は、こう言ってニコッとする。
そして、妓楼に到着した。
客は妓楼の二階の酒席に通され、玉芳を待った。
菖蒲が客に酌をし、会話を楽しむと玉芳が入ってくる。
「お待たせしました……」
玉芳の言葉で、全員が驚いた。
(普段、言わない言葉だ……いつもはツンとしているが、ここで変化を出したんだ……) 梅乃には、まさに生きた教材であった。
この変化は、男の気を引くのに時間は掛からなかった。
「ありがとう……これからも楽しませてくれよな」 客は、玉芳が席に付いてからスグに心を持っていかれたようだ。
アチコチの妓楼を渡り歩いてきた客は、玉芳に堕ちた。
時代は変われど、男はツンデレに弱いようだ。
「そこで……コレを……」 玉芳が手を叩くと、部屋に赤飯が運び込まれた。
「どうした?」 客はキョトンとしていた。
「今宵、この勝来の妓女としての初日でございます」
「そうか、めでたいな♪」 客はめでたい日に立ち会えた事を喜んだ。
「お召し上がりください。 これは、私の奢りです。 さっ、勝来も……」 玉芳は勝来を近くに呼び、全員で赤飯を食べた。
その時、勝来は涙が溢れて化粧が取れかかってしまった。
「あらあら……」 玉芳はクスッと笑った。
これも変化である。 玉芳は客の前で笑うことは少なかった。
いつもなら、張りつめた空気で存在感を出していたが、今回は違った。
(姐さん……何かあったのかな?) 梅乃は、小さいながらに疑問を抱く。
酒宴は進み、梅乃は子供なので先に失礼をした。
そして、三時間ほどすると酒宴が終わった。
丁寧に挨拶をし、階段まで見送る玉芳。
そして、階段を下りてから菖蒲と勝来が外までの見送りをする。
客が歩いて帰ろうとした時に、玉芳は妓楼前まで速足でやってきた。
少し息を切らした声で、
「また、会えますか?」 と、言ったのである。
客は面食らった顔で
「あぁ、すぐ来るよ」 そう言って、客は帰っていった。
これは、全て玉芳の演出である。
ただ、この変化により玉芳自身にも変化が出てきた。
そして、朝の六時になると浅草寺の鐘の音が鳴る。
新造になった勝来は、菖蒲に同行して客の見送りを行っていた。
そんな中、梅乃はバタバタとうるさい妓楼の中で熟睡をしていた。
第十話 月下の涙 昼見世の時間、菖蒲は張りから外を眺めていた。 そして、誰かが通れば笑顔を振りまくが苦戦をしている。 「はぁ……」 菖蒲はため息をついていた。 「菖蒲姐さん……」 張り部屋の外から梅乃が声を掛ける。 「なんだい? 今は昼見世の時間。 何の用だい?」 「はい。 コレを持ってきました」 梅乃は、張り部屋の戸を少し開けて紙を中に差し出す。 「んっ? 何これ……ぷっ」 菖蒲が紙を見て吹き出した。 その紙は、梅乃が書いた菖蒲の似顔絵であった。 「なんだい? もう少し、上手に描きなさいな……」 菖蒲は笑っていた。 「へへへ……姐さんの笑顔が見たくて描きました」 梅乃は戸の反対側でニコニコしていたが、菖蒲には見えていない。 「でも、姐さんが笑ってくれたので良かったです♪」 梅乃の存在は、菖蒲や勝来にとっても『小さな、お天道様』 のようであった。 「梅乃……」 さっきまで、ため息をついていた菖蒲とは別人のように笑顔になっていた。 「……」 采は黙って、それを見ていた。 そして翌日の昼見世の時間、「信濃、ちょっと来な」 采は、信濃を呼ぶ。 「はい。 どうしました?」 「お前に、二階の部屋を与える。 そこが、お前の仕事場だ」 采の言葉で、大部屋がザワザワとしている。 これは実質、信濃の昇格という意味が伝わった。 二階に部屋を与えられると言うことは、花魁または花魁に近い売上を上げている妓女の特権である。 三原屋には、玉芳以外に部屋を与えられていた妓女は居なかった。 売上の高い妓女が、夜の相手と酒宴の時だけ使う程度だったのである。 一般の妓女は、大部屋に仕切り板、現在のパーテーションを置いて営みを行っていた。 これが部屋を割り当てられるのは凄い出世である。 「付いてきな」 采は、信濃を二階に案内した。 「この部屋を使いな」 采が案内したのは、玉芳の使っていた部屋であった。 「この部屋……玉芳花魁の部屋じゃ……」 信濃は、ゴクリと唾を飲み込んだ。「そうさ。 今日から、お前がトップだ!」 采はニヤリとして信濃を見る。「私が花魁に……?」「それは、これからのお前次第だ。 客も、環境も全てが変わる……それでも、やれるか?」 采は覚悟を試していた。「やります。 やらせてください」 信濃の目が変わった。 「よし
第九話 母の声五月、桜の花が全て葉に変わった頃、一人の妓女が吉原から出ていく。長年、三原屋のトップに君臨していた玉芳が身請けされるのだ。「本当に、この時が来るなんてね……」 采が涙ぐみ、話す。「今まで、本当にありがとう……母様《ははさま》」 そう言って、玉芳が采に抱き着いた。三原屋は、とてもファミリー感覚な妓楼である。「父様《ととさま》も、本当にお世話になりました」 ここでも玉芳が文衛門に抱き着いた。一階の大部屋では、祝賀ムードになっていた。妓楼の見世先には大量の花が届き、幕《まく》まで出していた。「おや、梅乃は?」 玉芳がキョロキョロして梅乃を探していた。「こんな所に居たのかい……」 玉芳は、台所に座っていた梅乃を見つけた。「すみません……なんか、急に寂しくなって……」 梅乃は、涙をポロポロと流しながら話していた。「また、会いに来るから」 玉芳はニコッとして、梅乃の頭を撫でた。「もうじき、大江様が到着されます」 男性従業員の言葉が聞こえ、一斉に支度に取り掛かるのであった。「梅乃、小夜、しっかり勉強をするのですよ」 玉芳は、母親のような口調だった。そこには、梅乃も、小夜も同じ気持ちでいた。妓女としてだけではなく、母親のような存在であった玉芳の引退に、幼い二人には厳しい現実であったのだ。そして、大江より先に花魁同士で しのぎを削《けず》ってきた仲間が祝福に訪れてきた。「玉芳花魁……おめでとう」 長岡屋の喜久乃と、鳳仙楼の鳳仙である。「なんだ~ 来てくれたの?」 玉芳は、この上ない笑顔だ。「当たり前じゃないか! 大見世の花魁同士だよ」 玉芳を始め、喜久乃や鳳仙と言った大見世の花魁が集結した三原屋は賑やかである。ただ、一般の妓女からすれば天上人である。 生きた菩薩の三人の空気に圧倒されるばかりであった。「紹介するわね。 喜久乃花魁と鳳仙花魁よ!」 玉芳は、二人を三原屋に紹介していた。「あれ? あの娘《こ》は?」 喜久乃がキョロキョロしながら言い出した。「あの娘?」 玉芳が首を傾げる。「ほら、禿の元気な娘よ。 梅乃だよ」 鳳仙が説明した。「あぁ、台所で泣いてるわよ」 玉芳は、苦笑いで答えた。「仕方ないか……本当に母親みたいだもんね」 鳳仙は勉強会などで、玉芳が率先していたことを知っているだけに梅乃の気持ちも解っ
第八話 覚悟の時「えっ? こんな昼間に共ですか?」 梅乃と小夜が驚く。「そう。 勉強をしましょう」 玉芳は、そう言って出かける準備を始めた。そして向かった先は、仲の町にある瓦版《かわらばん》であった。「ごらんなさい。 ここに沢山の記事があるでしょ! ここから文字や出来事を頭に入れなさい」 梅乃と小夜は、瓦版を覗き込んだ。「これは何て書いてあるんですか?」 小夜が玉芳に聞くと、「これは、法度。 禁じられてる事を言うのよ」 玉芳は丁寧《ていねい》に教えていた。そこに鳳仙が現れた。「おや? 玉芳花魁、今日は昼間からどうしました?」「あぁ、鳳仙か……この娘たちの勉強さ。 妓楼の中での勉強は限られるからね」玉芳が二人を外に連れ出したのは、妓女としてだけでなく一般教養《いっぱん教養》も大事だと思っていた。「なんで、妓女だけの教養だけじゃダメなんだい?」鳳仙は不思議に思って、玉芳に聞いた。「そりゃ……もし、誰かに身請けされても一般の教養が無いのに吉原を出たら不便だしね。 できる限りの事はしてやりたいのさ」玉芳の言葉に鳳仙も小さく頷いた。「それなら、私もやるわ。 それだったら、禿たちの学校でも作ってあげたいね」一流の花魁は、物分かりが良すぎていた。 また、それが世間知らずで育った証拠でもある。それから日中の午後は玉芳と鳳仙の部屋、交互《こうご》で禿たちの勉強を行った。「私ですか? まぁ、それくらいなら……」そして、講師として妓楼で働く男性が招かれた。妓女であれば吉原から外には出られず、情報も少ない。 ここは、男性に習うのが一番だと玉芳は思っていた。まず、読み書きから始まった。捨て子である梅乃と小夜は一生懸命に勉強していた。また、鳳仙に付いている禿も頑張っていた。「ほら、絢《あや》。 アクビしない」鳳仙が注意している。鳳仙楼の禿は絢という。 絢は男の子みたいに髪が短く、快活《かいかつ》な女の子である。そして、親の借金返済の為に吉原に売られた禿でもある。そして勉強が始まって、数週間が過ぎた頃「しかしさ~ 面倒見が良いよな……ただ、本当に禿の将来を思ってだけ?」鳳仙は唐突《とうとつ》に聞いてきた。「そうよ……ただ、私には時間が無いから……」 玉芳の言葉に、鳳仙は合点《がてん》がいった。(確かに、玉芳は三十近くなる。
第七話 禿「会いたかった……」 近江屋の禿は、小夜の手を握っていた。「あ、ありがと……私、小夜。 あなたは?」「私、静(しず)。 よろしくね」 笑顔の二人に、梅乃がヒョコッと顔を出す。「小夜~♪ お友達?」「うん。 静って、近江屋の禿なんだって」 小夜は上機嫌であった。内気な性格で、梅乃しか友達が出来なかった小夜が、自力で友達を作ってきたのだ。「良かった♪ 私、梅乃。 よろしくね♪」こうして三人の禿は仲良くなっていった。時間が空いた時は、よく三人で話しをする仲になっていった。「そういえば、この前の妓女の事なんだけど……」 小夜がお歯黒ドブで亡くなっていた妓女の話を切り出す。「あぁ、秀子さんね……」 この話しになった途端、静は表情が暗くなった。「いい人だったの?」 「うん。 私にとってお母さんみたいな人だったの……」「そっか……」 「お母さんか……どんななんだろう」 梅乃が小さい声で言った。「お母さんは?」 静が、静かに聞くと「知らない……私と小夜は、赤ちゃんの時に大門の前に捨てられていたんだって」 梅乃も声が小さくなっていた。「そっか……私は、家が貧しくて売りに出された」 静も、なかなかの人生であった。「みんなで良くなるように願掛けしようか?」 小夜の提案で、桜が散ってしまった木の下で手を繋いだ。“ニギ ニギ ” 「みんな良くな~れ♪」他の見世であるが、同じ禿同士で仲良くなった三人であった。「梅乃~ 小夜~」 玉芳の声がした。「はいっ」 「昼見世の時間、茶屋に行くよ! 用意して」玉芳が昼間から営業が入ったようで、付き添いを言われた。そして茶屋に入り、玉芳は茶屋の主人と話しをしている。梅乃と小夜は、少し離れた場所で待機をしていた。「梅乃ちゃん、小夜ちゃん……」 二人を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと「静ちゃん」 「えへへ。 今日はどうしたの?」 静の表情は明るかった。「今日は、花魁と一緒に来てるの」 「私も♪」どこの禿も、やることは一緒である。用事が住んだらしく、玉芳が振り向き「梅乃、小夜 行くよ」 と、言った時である近江屋の妓女、小春が茶屋に来ていた。「小春じゃない?」 玉芳が、声を掛けた。「あぁ……玉芳 花魁」 小春は頭を下げた。小春は玉芳より年上で、年季が明けてやり手婆になるらしい。
第六話 縁日「おはようございます。 いい天気ですよ、花魁」 小夜が窓を開け、玉芳を起こした。「―眩しい。 それに、昨日は飲み過ぎた……」 玉芳は頭を押さえている。「今日は、九(く)朗(ろ)助稲荷(すけいなり)様の縁日でございます。 花魁も支度なさってください」吉原の四方には稲荷社がある。 その中で、特に信仰を集めていたのが京町二丁目奥の九朗助稲荷である。九朗助稲荷では毎月、午(うま)の日は縁日とされている。出店が並び、毎回賑わっていた。「うぅぅ……頭が痛い……」 玉芳は重い体を起こし、着替えていた。この縁日は、花魁たちのパレードのような催しがあり「花魁、通ります!」 この掛け声から、見世の行列が始まる。「三原屋、玉芳花魁が通ります」 梅乃も元気よく、声を出していた。この花魁道中で、世間を下に見るような仕草が一段と人気を博していた。 しかし 「頭が痛い……」 玉芳の頭痛は改善されなかった。 「もう少しです。 花魁……」 勝来が気を利かせ、言葉を掛ける。そして、九朗助稲荷に到着し、三原屋全員で手を合わせた。 「お前たち、いなり寿司を食べようか」 店主の文衛門が、妓女や禿にまで振舞っていた。 「おいしい♡」 梅乃と小夜も、喜んで頬張っていた。 縁日を楽しみ、妓女たちの数少ない笑顔が溢れる中、問題が起きた。 「―花魁?」 玉芳が倒れてしまった。 当然、他の見世の妓女や客も居る中の事態で、周囲はザワついていた。 妓女は車を呼び、玉芳を乗せて三原屋に戻った。「お医者様……どうでしょうか?」 文衛門が聞いていた。「様子見……ですな」 妓女に体調の異変など、当たり前である。長年、妓女をやっていると梅毒に掛かるリスクがある。妓女の平均寿命は二十三歳くらいと言われていた。そのほとんどが梅毒である。 「貰ったかね……」 玉芳は、半分は覚悟していただろう。 文衛門は、玉芳の頭を撫でた。 三原屋でも梅毒に侵され、亡くなった者も少なくない。 “最後には優しく…… ” が、文衛門の決まりであった。 「あら……その優しさ……やっぱり、そうでありんすか……」 文衛門の優しさが、玉芳は察したようだ。 そして、三原屋には重い空気が流れた。 中には、次の花魁が誰になるかの話しまで出だしたのだ。 (玉芳花魁が梅毒と決まった訳じ
第五話 下世話なヤツラ「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。 それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。 「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。 梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。 「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。 「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、 「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。 (これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。 そして喧嘩の場所へ来た。 「お~♡ やってる~♡」 玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。 「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。 「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。 「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」 玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。 「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。 「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと 「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。 「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。「って……アンタ、誰?」 「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」「私は長岡屋の喜久乃……」「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」 「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。そして喧嘩の場所へ「待ちな!」 玉芳が参上した。「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。 「念の為だ、見世を聞こう……」 玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。 「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」 「ふむ……お前は?」 「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。 「ウチの松代(まつしろ)姐